『微熱のころ』 〜幼馴染み/火傷〜 |
『微熱のころ 第8話 〜幼馴染み〜』 野分が俺の弟になって半年くらい経った頃、お向かいの宇佐見のお屋敷にイギリスで暮らしていたいう秋彦が帰って来た。 俺と年が一緒だった事と、お互い本が大好きで俺達は知り合ってあっという間に1番の親友同士になった。 俺に名字の違う弟がいる事も秋彦は小さい頃から承知していて、しかも秋彦自身にも半分しか血の繋がらない兄がいたりするせいで、偏見もなく野分にも優しく接してくれた。 仲良くなった当初など、これまで自分しか読んでいなかった本の話が出来る嬉しさに連日秋彦と行動を共にし、小さな野分を寂しがらせた事もあったが、小学生だった俺にそんな配慮が出来るはずもなく、学校でも家でも秋彦と一緒、ご飯食べながら話す話題も秋彦がどーしたこーしたという話題ばかりになってしまう。 そんな頃、珍しく野分が風邪をひいた。 最近は聞き分けもよくなって、俺が学校に行く時にも笑顔で見送ってくれていた野分が熱のせいかやたらと不安がって「ヒロちゃん、ヒロちゃん」と俺を呼び続けるのだ。 母さんから「二人揃って風邪ひかれたらお母さん困るから、のわちゃんのお部屋に行く時にはこれつけてね。」と手渡された給食当番みたいなマスクをつけて、呼ばれる度に野分の部屋を覗く。すると野分は発熱で真っ赤な顔しているくせに、急いで起きて来ようとするから「ダメだ。寝てないと母さんに怒られるぞ。」とベッドに押し戻す。 いつもならこの時間にはとっくにランドセルを放り出して、秋彦との秘密基地に走って行く俺だったけど、具合が悪くてこんなに心細そうな野分を置いて遊びになど行けず、学校の図書室で借りてきた本を膝に乗せて窓際の壁にもたれて座った。 「ほら、すぐ傍にいてやるからちゃんと寝てろ。布団も・・・そう、ちゃんと掛けてろよ。」 「・・・ヒロちゃん、今日は秋彦君とこに行かない・・・の?」 「あ?別にいーよ。学校でも一緒だったんだし、さっきも一緒に帰って来たし。野分が具合悪いって言ったら、早く帰ってやれって。だから今日はいーんだ。」 そう言うと安心したのか目をつむった野分を確認して、俺は本のページを静かに捲った。 そんなある日の事。 クラスの女子達が当時やっていたドラマの影響で「結婚」という話題で盛り上がっていた事があって、俺と秋彦は教室の窓際最後列にある秋彦の席で読んでいた本からふと顔をあげる。 「なあ、秋彦・・・お前は将来結婚したい奴とかっている?」 「・・・結婚?・・・・・どうでもいいな。面倒くさそうだし、俺はしないかも。」 「へー・・・。秋彦、俺はな・・・大きくなったら野分と結婚する。」 「は?」 「そうすりゃあさー、あいつと俺本当の家族になれるかもしれねーじゃん。結婚してあいつが上條野分になればいいんだ。」 すごい名案に得意気な俺を見つめて、秋彦がため息をつく。 「・・・どこから訂正していいものか正直悩むぞ。弘樹・・・・まず日本の法律では、男同士は結婚出来ない。」 「嘘!・・・ダメなのか・・・。」 「それに弘樹は野分と名字が違う事を気にするけど、お前達は今のままでも戸籍がどうであれ仲が良い兄弟だし、家族だろう。それ以上に何を望む。」 「だって俺・・・あいつとずっと一緒にいたいんだ。それなら結婚すればいいんだって思って・・・。」 秋彦は笑わないで真剣に俺の話を聞いてくれていた。 今になれば子供らしいバカな発想だけれど、子供なりに必死で考えたんだろうな・・・って事は分かる。まだ結婚の意味も理解していない小学生の俺の夢はあんまりにも現実味が無くて、その分正直だ。 野分とずっと一緒にいたい。 兄弟だという最初から在りもしない絆に縋り付いてでも手放したくなかったもの。 結局その絆まで打ち砕いたのは・・・俺だった。 ◇ 続く ◇ 『微熱のころ 第9話 〜火傷〜』 それは家族全員揃っての夕食時に起こった。 夕食の配膳をする母親を手伝って、盆におかずの入った小鉢や茶碗を乗せて、ダイニングテーブルに料理を運ぶ野分を見るのはいつの間にか見慣れた光景になっていて、つい任せっきりになってしまう。俺も父さんも準備が整うのをじっと座って待っているばかりで、野分や母さんに悪いなとは思いつつ、それほど広くないキッチンに男が何人もうろうろするのは邪魔なんじゃないかと思って、傍観する事にしている。 その日も俺の目の前に静かに茶碗が置かれ、手が引っ込められる瞬間、ふと顔を上げて野分を見た。視線がかち合う瞬間、何故か辛そうにすいっと反らされてしまう。 もう先週の事になるが、俺は野分にキスをした。 最近にしては珍しく一緒に部屋に居る時に、酷い雷雨になり停電。雷が苦手でパニックになってしまっていた俺は思わず傍にいた野分に縋り付いてしまい、野分はそれに応えるように抱き寄せてくれた。 ずっと避けられていると感じていたから、そうしてくれた事が何だか嬉しくて、野分の体温が心地良くて、どこかホッとした気持ちになっていたところに、俺は数日前に見た光景を思い出してしまう。 野分が可愛い彼女と仲睦まじく、一緒に歩いているところ・・・。 それを見た瞬間感じた、自分の胸の中の奇妙なざわつきを、いてもたってもいられないような焦燥感を、同じ屋根の下に暮らしながら視線を外され、故意に避けられる切なさを、どうにかしたくて。俺はそんなぐちゃぐちゃした感情を持てあました挙げ句、適当な理由をつけて野分に口づけた。停電だった事が幸いして顔を見られずに済んだのがせめてもの救いだったけれど、あれ以来ますます野分に避けられている気がして、どうにもやりきれなかった。 やっぱり気持ち悪がられているのだろうか・・・だけど、触れるだけだったキスをエスカレートさせたのは紛れもなく野分の方だ。口の中に舌を突っ込まれて強く吸われ、口の中を舌で掻き回された。 俺なんかに教えられなくても、こんな大人のキスだって出来るんだと言わんが為か。 分からない。どうしたらいいのか、野分はどう思っているのか。 俺は結局どうしたいのか。 そんな事を考えながら、ぼんやりと座っていた椅子を何気なく後ろに引いた瞬間、「わあっ!」という大きな声と同時にガシャーンと何かが背中にぶつかってきて落ちた。 「熱っ・・・!」 振り返ると、床に味噌汁の椀と盆が散乱していて、野分が手首を押さえて痛みに顔を歪ませている姿が目に飛び込んでくる。 「おいっ!大丈夫かっ!!」 「のわちゃんっ・・・!」 「弘樹、風呂場に野分を連れて行って服を脱がせろ。すぐに冷やさないと。」 「野分、来い!」 父親の声にはっと野分の全身を確認して、野分の着ていたTシャツの胸に大量の味噌汁が染みているのに気付く。俺は慌てて野分の手を掴んで風呂場に駆け込むと着ている物を無理やり脱がそうと躍起になった。 「大丈夫です。ヒロさん落ちついて。」 とにかく早く冷やしてやらないと、と焦るあまり、気がついた時には洗い場でTシャツを脱がされ上半身裸の野分に水のシャワーをかけてやりながら、自分もずぶ濡れなのに気付く。 「ごめんな・・・俺が急に動いたりしたから・・・。」 「ヒロさんが悪いんじゃありません。俺があんなすぐ後ろを通っていたから・・・。それよりヒロさんはどこも痛くありませんか?」 「へ?俺・・・?」 「味噌汁、一緒にかかったりしていませんか?」 「お・・・俺は・・・平気。それよりお前が・・・・。」 急いで野分の腕を引っ張り確かめると、手首の内側と左胸の下あたりが少し赤くなっている。酷い火傷ではないようだが、見ているだけでも痛々しい。 今になって怖くなってきたのか、俺のシャワーを持つ手がガタガタと震え始める。 「・・・ヒロさん、俺なら大丈夫ですから。どこも怪我してませんし、痛くありません。」 動揺して震えが全身にまわってきた俺の手を野分の大きな手のひらが優しく包み込んでくれた。 顔をゆっくりと上げれば、そこには心配そうな野分の顔があって、いつの間こんなに逞しくなったのか、上半身を晒した姿にはすでに大人の男としての魅力が滲み出ているように思えた。 ◇ 続く ◇ 『微熱のころ 第10話 〜火傷〜』 「ごめん・・・痛いよな。・・・ここ、赤くなってる。」 左胸の肋骨の下あたりの傷痕にそっと触れると、野分がビクッと体を震わせた。 その反応に驚いた俺も弾かれたように身を離す。 「あ・・・痛かったか?」 「・・・いえ、大丈夫です。・・・ちょっとくすぐったくて。」 「おっ・・俺、薬箱取って来る。軟膏が確かあったはず・・・。」 「ヒロさん。」 びしょびしょの服のまま風呂場から出て行こうとした俺の腕をふいに野分が掴んだ。 その思わぬ力に一瞬息が止まる。 「そのまま出るつもりですか?服・・・びしょ濡れです。」 「あ・・・。」 言われてみれば、慌てた俺がシャワーで水をかけまくったせいで、野分のジーンズも、俺の着ていた服もぐっしょりと濡れていて、これを脱いで着替えなければ部屋には上がれない。 急いでシャツを脱ごうとその場でボタンを途中まで外しかけて、はっと野分の存在に気がつく。 俺がボタンにかけた手を止めるのと殆ど同時に野分も気がついたようで、あからさまに顔を背けられた。 決して広くない風呂場で、お互い背中を向け合って服を脱いでいく。 野分がジーンズのジッパーを下ろす音。濡れていて脱ぎにくいのだろう、ジーンズと下着を脱ぐだけなのに、かなりの時間を要しているのを物音と気配で感じた。 俺も着ていたシャツを脱いで洗濯籠に放り込み、水でべったりと貼り付いて脱ぎにくい綿パンから、下着ごと無理やりに足を引き抜く。全て脱ぎ終わったところで、脱衣場からバスタオルを2つ取り、そのうち1枚を手渡そうと野分を振り返る。 あいつは全裸のまま黙って俺に背を向けていて、俺がそちらを見ている事に気がついていないようだった。 年中青白い俺とは全く違う、健康的な象牙色の肌。 何のスポーツも部活もやっていないのに、恵まれた大きな上背。 きゅっと締まった筋肉質な臀部。 まだ14歳とは思えない、男の俺が見ても惚れ惚れするような肉体美だ。 「野分・・・これ・・・。」 何故なのだろう。 心臓のあたりが痛いくらいに胸が苦しい。 その背中に向かって差し出したタオルを受け取る為にゆっくりと野分がこちらを振り返る。 時間にすれば、ほんの数秒の事。 タオルを受け取ろうとした野分が手を出しかけて動きを止めた。 突き刺すような視線が俺の全身を上から下まで撫でた後、苦しげに眉間を寄せられる。唇が薄く開かれ、野分の口から「ヒロさん・・・」という声にならない吐息が漏れた。 そして野分は引ったくるように俺の手からバスタオルを奪うと頭の上からタオルを被って慌ててまた背中を向けてしまう。 「・・・すみません。」 何に謝られたのか、どうしてこんなに心臓が乱暴な音を立てているのか理解出来ないまま、俺はふと、自分の体の異変に気がついた。 「・・・おっ・・俺ッ・・・薬取って来るから・・・!」 ぞんざいに体を拭いただけでバスタオルを腰に巻きつけると、まだ濡れた足のまま俺は浴室を飛び出した。 「ヒロちゃん?・・・大丈夫だったの?のわちゃんは・・・。」 「だっ大丈夫。ちょっと火傷してるけど、薬つけとけばすぐ治る。俺薬取って来る。」 台所から声をかけてきた母親に返事を返しながら転がるように階段を駆け上がった。 部屋に置いてある小さな救急セットからワセリンの入った容器を取り出す。すぐに持って行ってやらなくてはならないと分かっているのだけれど、こんな状態のまま戻れはしない。 この間野分とキスした時もそうだった。 間違いなく、俺の体は野分に対して反応している。 バスタオルの下で硬くなっている自分自身の熱に手を伸ばすと、ぐちゃぐちゃに手で扱いた。悲しくて恥ずかしくて、とにかく何でもいいからこの状態から逃れたいと願った。 俺は・・・野分が欲しいんだ。 瞬きの弾みで畳の上に涙の粒がパタパタと零れ落ちた。 それを追うように手のひらに熱く濡れた感触が拡がっていく。 ◇ 続く ◇ 『微熱のころ 第11話 〜火傷〜』 ぬり薬と野分の部屋から持って来た着替えを手に風呂場に戻ってくると、すでに体の水滴を拭って、タオルを腰に巻いた状態で所在無さそうに野分は俺を待っていた。 「悪い・・・待たせた。」 「いえ。今、自分でも鏡で見てみましたけど、大した事なさそうですよ。」 そう言いながら指先が胸元の傷をそっとなぞる。 「だ・・・ダメだ。過信してほっといて痕になったらどうすんだよ。それにそんなとこ、服で擦れたら痛いぞ、絶対。」 俺は野分の着替えを一旦脱衣籠に置くと、ぬり薬のプラスチックの蓋を回し開き指先に軟膏をすくい取った。緊張しているのを気付かれないように一歩野分に歩み寄ると、恐る恐る薬をつけた指で胸の傷に触れる。 「イタタタ・・・。」 「えっ、ごめん。痛かったか。」 野分の声に慌てて手を引っ込めると、野分がふっと目を細めて笑う。 「嘘です。大丈夫ですよ。全然痛くなんかないです。」 からかわれたのだと分かり、一瞬怒ろうかと思ったがだいたい火傷させたのは俺なんだし、久しぶりに見た自分に向けられる野分の優しい笑顔が嬉しくて、そのまま黙って傷口に薬を塗り込んでいく。 胸元の傷の後、手首の内側にも薬を塗ってやりながら、ふと別に俺が薬まで塗ってやらなくても、胸元も腕も自分で届くじゃないか・・・と気がついてしまったが、そ知らぬ顔で続行する事にした。俺が気がつくぐらいだ。野分はとっくに気付いているのだろう。それでも俺に甘えてくれるのなら・・・と黙って薬を塗り続ける。 軟膏で白くなった傷の上から絆創膏を貼ってやって、完成。 「・・・ありがとうございます。俺、服着たら台所に戻りますから、ヒロさん先に食べ始めて下さい。お腹すいてるのに付き合わせてすみません。」 「別に・・・。じゃ、先に戻る。」 食卓に戻るとすでに両親の食事は終わっていて、父親はすでに自室に戻ったようで母親だけが待っていた。 「のわちゃんはどう?大丈夫だったの。」 「ああ、本人も言ってたけど大した事ないって。薬塗って絆創膏貼っといた。もうすぐ来るよ。」 「それなら良かったわ。あなたたち、なかなか帰って来ないから酷い怪我なのかと心配しちゃった。ご飯とお味噌汁ついでおくから二人でゆっくり食べなさいな。」 母親はそう言うと俺達の席に温め直した味噌汁とご飯茶碗を並べ、前掛けを外しながら出て行ってしまった。今日は確かこの後から母は日舞のお稽古に行く。もともと習い事が大好きで何とかヒマを捻出しては嬉しそうに出かけていく母はとんでもなく行動的な人だ。どちらかというと気位が高く、何事にも慎重で、こつこつと事をなす父親の方に自分は似ていたいと思うが、慌てん坊で思い込みの激しいところやすぐ感情的になってしまうところはどう考えても母親譲りで・・・。 「あれ、ヒロさん待っててくれたんですか。先に食べてて良かったのに。」 「どうせもう俺達だけだし。母さんもお稽古に行った。」 「水曜日って、踊りでしたっけ。」 「そう。毎日、忙しい忙しいってパタパタしているけど、あれ絶対趣味だと思う。」 「忙しいって言いながら、母さんは楽しそうですもんね。」 きれいな箸使いで茄子の煮物を口に運ぶ野分と向き合いながら、ふと顔も知らない野分の親はどんな人間だったのだろう、と思う。 産まれたばかりの赤ん坊を台風の日に置いて行くくらいだ。余程退っ引きならない事情があったのだろう。子供の頃、野分が施設の前に置いて行かれた子供なのだと聞き、酷い親だ、きっと自分勝手で鬼みたいな人間なのだろう、と思っていたが、野分自身を見ていればこいつに血を分けた人間がそんな非道な訳がないと気がつく。 誠実で努力家で、優しい野分。 こいつを他人の手に委ねなければならなかった本当の母親は、今どこで何をしているのだろう。もし生きてどこかにいるのなら、こいつを産んでくれた事、死なせずに生き延びる道を選んでくれた事を感謝したい、そう思った。 ◇ 続く ◇ |
幼馴染み/火傷 2009/8/8〜8/27 連載 |