星に願いを


『星に願いを』


野分の居ない夜なんて、いつもの事じゃないか。
一緒に夕食を食べられる日なんて週に1度あればいい方だし、基本的にサラリーマンと変わらないスケジュールで働いている俺とは生活のリズムが違う事は痛いくらいによく分かっている。
だから、帰って来た自宅の鍵を開けて、空っぽで真っ暗な部屋に迎えられたからって、俺ががっかりする事はないのだ。

そう、いつもの事だ。

下駄箱の上に部屋の鍵のついたキーホルダーをじゃらりと置いて、玄関の照明を点けたままでリビングへと進む。
リビングの灯りを灯しても、どこにもあいつの姿はない。
今日も帰りは深夜か、泊まりで帰って来ないか・・・。

ダイニングテーブルの上に、駅からの帰り道購入した1人分の弁当を置いたものの、ちっとも食欲など沸いて来ない。いくらコンビニの弁当とはいえ作ってくれた人が必ずどこかに居るはずで申し訳ないけれど、テーブルの上にのったそれはもう俺の目に食べ物として映らなかった。

こんなに気分が臥せっているのは、本当に下らない理由で、例えここに野分がいたとしても話して聞かせる気にもならないだろうと思える程度の事。
いくら好きで選んだ仕事とはいえ当然いい事ばかりある訳じゃない。嫌な事くらいあって当然だ。
ただそれだけ。・・・なのにどうしてこんなにも今、ここに1人で居るのが苦しいのだろう。

野分に会いたい。
顔を見て、下らない話をして、あのあたたかい腕に抱き寄せられたい。

たったそれだけでいいんだ。
でも叶わない。

嫌な事があったからって、落ち込んだからって、あいつに会いたがるなんて自分でも勝手だなって思う。

弁当を開ける気も冷蔵庫のビールを飲む気にもなれず、それどころかネクタイすら解いていないままソファに横になって、俺は目を閉じた。






「・・・・さん。」

誰かが俺を呼んでいる・・・・?
そう思うものの、眠りの深淵に落ちていた俺は急に目を開く事も、体を動かす事もままならなかった。

背中と膝裏に差し込まれる腕の感触。
ふわりと体が宙を舞って、ふわふわと夢見心地のまま柔らかいスプリングベッドの上に静かに下ろされた。

ベッドに腰掛けるスプリングの軋む音。ネクタイが解かれ、シャツのボタンが外されていく。
部屋の空気に晒された肌が少し、寒い。
体を上手に傾けながら、すいすいとシャツを腕から抜かれ、かわりにパジャマらしきものの袖を通される。すげぇな、こいつ。将来俺が寝たきりになっても何の心配もないな・・・って、そうかその頃にはこいつもじーさんなのか・・・。

そんな事を考えていたら思わず顔がにやけてきたらしく、寝たふりを野分に見つかった。

「起こしちゃって、すみません。あとパジャマのズボンだけだからそのまま任せてくれてもいいですよ。」

野分は俺ににっこりと笑いかけると、慣れた手つきで俺のスラックスを脱がせて脇に置いたパジャマの下を手に取る。

「・・・いい。何でお前に着替えさせてもらわなきゃならねーんだ。目ぇ覚めたし自分で・・・。」

「それとも、せっかくだし穿くのは後にしますか?」

そう言いながら太腿をするりと撫でられる。

「・・・何がせっかくだ。疲れて帰って来たばっかりのくせに。お前こそ帰ってきた服のまんまじゃねーか。」

かすかに香る消毒液の匂い。
1日必死で働いて来たこいつの勲章みたいな匂いだ。

野分のシャツの胸に顔を埋めてじっと動かない俺の髪を大きな手が優しく撫でる。
ただそれだけの事なのに、今日一日胸に巣くっていた失望も悔しさも昇華されていく気がするから不思議だ。

「ヒロさん、晩ご飯も食べずに寝ちゃってたんでしょう。お弁当手つかずでした。」

「あー・・・あれ。お前腹減ってんならやる。」

「俺は晩ご飯食べましたけど・・・・・やっぱり、もらいます。で、ヒロさんには何か温かいもの作りますから一緒に食べましょう。」

「ウン・・・。」

離れがたい気持ちを抑えながらゆっくりと体を離して、ちらりと顔を見たその瞬間、再びがっしりと抱き込まれる。

「・・・何だよ。」

「もうちょっとだけ。ヒロさん補給を・・・・。」

「後にしろよ。晩飯食うんだろ・・・。」

「ハイ。後は後で・・・いっぱいしますけど。」

背中をぽんぽんとあやすように撫でられて、俺はそっとその背中に腕を回した。
こいつが俺の疲れも憂さもあっという間に吸い取ってくれるように、俺もこいつの疲れを吸い取ってやれるといいのにな。そんな事を願いながら抱き締める腕に力を込める。

いつか2人揃ってじーさんになっても、一緒にいよう。
お前が先に立てなくなってもいいように、もう少し今の内に足腰鍛えておかないとダメかもな。

「ヒロさん、何笑ってるんですか?」

「・・・お前が、じじいになってる姿想像してた。」

「・・・・え?」

「心配すんな。その頃には俺だってそうだ。」

「ヒロさんはおじいちゃんになっても可愛い気がします。」

「すっげー嫌われるような頑固で意地悪なジジイになってやるよ。」

「・・・そうなっても、一緒にいたいです。」

当たり前だろ。

そう声に出して言うかわりに、俺は野分の唇にそっと自分のそれを重ねた。


 ◇ おわり ◇



 9/19 掲載


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