『唇』 |
『唇』
野分の病院の中庭、小さいけれどきれいに手入れをされた花壇の花に視線を移しながら、ベンチに並んで座る隣の野分に尋ねた。 「すみません。容態が安定していない子が一人いまして・・・・。担当は俺じゃあないんですけど、もし帰ってる間に何かあったら・・・と思ったら怖くて。」 「ああ。・・・・いい、無理すんな。お前はお前にしか出来ない仕事をしてるんだし。」 二人の間にあった手をぎゅっと握られる。 「でもヒロさんの傍にいて、ヒロさんを愛せるのも俺だけにしか出来ない仕事です。」 「・・・・・・・・・。」 「でも、最近、仕事サボり過ぎですね。すみません・・・寂しい思いさせてばかりで。」 繋いだ手を握り直されても、いつものように文句ひとつ出てこないのは、多少なりとも野分の長い不在に弱ってしまっている自身を自覚する。 「寂しいとか・・・別に・・・・。」 「俺は寂しかったです。忙しくしている時はいいんですけど、ふと一人になった時とか、仮眠室のベッドに横になった時とか、無性に寂しくてヒロさんに会いたくて居ても立ってもいられなくなって・・・・。」 野分の言葉と、強く握られた手のぬくもりのせいで、野分に抱き締められている気分になる。 「ここが外で、何も出来ないのが残念です。」 前ここで、キスした事あるじゃねーか、と思いつつも、それを言ったら、して欲しがっているように聞こえそうで黙っておく事にした。
一人だと思うと食欲もあまりなくて、仕事帰りの道すがらコンビニで新作のカップ麺を買って帰る事にする。野分に見つかったら小言を言われそうだが、居ないんだから怖くない。 「俺はバニラにして下さい。」 突然背後から話しかけられて、ものすごくアイス売り場で集中していた俺はびっくりしてもう少しで、変な声が出るところだった。 「・・・・野分?!」 「外からヒロさんの姿が見えたので。」 「何、今帰りなのか。」 「はい。明日は休んでいいって言われました。」 「珍しいな。お前が週末に休みなんて。」 「はい。なので、早く帰りたくて、駅からここまで走って帰って来ました。そしたら、コンビニの店内にヒロさんが見えて・・・あんまり会いたいから幻覚が見えたのかと思いました。」 野分は俺の手から買い物カゴを受け取ると、バニラのカップアイスを1つカゴに入れた。 「ヒロさんはどれにするか決めましたか?」 「ん、これでいい。」 最初に目についたチョコレートのアイスバーを選んで、俺も買い物カゴの中に放り込んだ。
玄関を入るなり後頭部を手で引き寄せられ、唇を重ねられた。 待ち焦がれていた抱擁に気持ちが攫われて、手に持っていたカバンが足下に落ちる。 唇が触れあってすぐに野分の舌が口腔内へと割り込んできて、俺の舌に絡みついた。互いの舌先を擦りつけ合い、甘噛みし、上顎をくすぐられる。 深く激しいキスを受けながら、俺は野分が俺を抱き寄せているのと反対の手に持ったままのコンビニの袋の中身をふと思い出した。 「・・・アイス・・・とけるぞ。」 「ダメです。俺とアイスとどっちが大事なんですか。」 「アイスやビールを冷蔵庫にしまう間くらい待てよ。どうせ明日休みなんだし・・・。」 「それでも勿体ないですけど・・・分かりました。買い物しまってきます。一緒にお風呂入ってあがってからのお楽しみですもんね。」 「誰も一緒に風呂入る約束なんてしてねぇ。」 俺の返答が聞こえなかったのか、聞こえてても関係なしで強引に押し切るつもりなのか、野分はいそいそと買い物を冷蔵庫にしまうと、風呂の準備をしにバスルームへと消えた。 この調子じゃ晩飯も後回しか・・・・。 俺はネクタイの結び目を緩めながら、さっき野分にさり気なく売り場に戻されてしまったカップ麺をちょっぴり恋しく思ったのだった。
お題提供 唇→重ねる でした。 |
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