『目』 |
『目』
野分が自分の部屋の机の上に忘れて来たという書類を届けに、俺は野分の職場である病院へとやって来た。 今日も「今、着いた。」と短いメールを送って、院内のカフェテリアで待つ事にした。 だというのに・・・・ 「あっれぇ?・・・上條さんじゃないっスか。」 俺はどうしていつも、こいつに見つかってしまうのだろう・・・・ 野分の先輩医師で、指導医でもある津森は、毎度毎度どれだけ人が気を遣ってこそこそしていても、こうやって俺を見つける。 待っている間読もうと持って来た文庫から目を離さないまま、黙って会釈だけ返す。 公園のようにきれいに手入れされた中庭を臨み、外向きに横並びのカウンター席の隣に津森は断りもなく座ってきて、手に持っていた食事のトレーを置く。 「すみませんねぇ。こんな時間に・・・って思われるでしょうけど、ようやく昼メシなんですよ。まあ食えるだけましな方ですから文句は言えないンすけどね。」 返事も返さない俺に構う事なく、まとわりついてきて、一人でしゃべるこの男が、正直何を考えているのか俺には理解出来ない。 だいたい俺は、おしゃべりな男が嫌いなのだ。 うるさいし、軽薄そうに見えるし・・・。 でも、野分はもう少し色々話してくれてもいいのに、とたまに思う。俺もそんなに話す方じゃないから人のことは言えないけれど、もっと仕事の愚痴とか、悩んでることとか・・・話してくれれば俺からも何か言ってやったり出来るのに。・・・しかも、俺には話さないくせに、こいつには相談とかしてるんじゃねーか、と思うとまた何だか腹が立ってきた。 「ヒロさん!」 背後から野分の声がして、俺は反射的にそちらを振り返った。 こちらに向かって満面の笑みを浮かべた白衣姿の野分が、隣に座っている津森を見てちょっと顔をしかめた。 「先輩がどうしてここに居るんです・・・・?」 「どうしてって、俺は今昼メシ休憩中だもん。」 「人が目をはなしてる隙に・・・! 何で先輩がヒロさんの隣で食事してるんですか。他にも席いっぱい空いてるんですから、どうぞ他の広いテーブルに移って下さい。」 野分は津森とは反対側の席に座り、俺はカウンター席で両脇を医者に挟まれる羽目になった。 あからさまに追い払おうとする野分に構わず、津森は割り箸を割ると平然と俺の隣で肉野菜炒め定食を食べ始めた。 「野分、お前はもうメシ食ったのか?」 「はい。俺はもう済ませました。ヒロさんもちゃんと昼ご飯食べましたか?」 「おーい、俺無視してイチャイチャしようなんて冷たいなぁ。」 「ヒロさんは俺に会いに来てくれているんです。先輩はさっさと食べて仕事して下さい。」 「言うようになったねぇ。最近反抗期か?」 「俺、ヒロさんにちょっかいかける男には前から容赦ないです。それが先輩でも同様です。」 津森を無視して・・・というより、無視されてんの俺の方じゃねえか?と言いたくなる程に、俺を間に楽しげにやりあっていて、正直あまり面白くない・・・。 「野分、ほら。この書類で良かったんだろ。用事は果たしたし帰るわ。」 「えーっ・・・!俺まだ休憩時間たっぷり残ってるんです。残ってる時間全部ヒロさんと過ごそうと思って頑張ってたのに・・・・。」 「忘れ物したのは・・・わざとか。」 むっとして席を立とうとすると、必死な野分に腕を掴まれた。 「先輩の食事の邪魔になってはいけないので、俺達はこれで失礼します。ヒロさん、歩きながら話しましょう。」 野分は俺の腕を掴んだまま、カフェテラスを後にして、そのまま中庭へと俺を引っ張ってきた。そこまで来て、ずっと野分から腕を引かれていた事実に気付き、慌てて腕を振りほどく。 「大丈夫ですよ。この時間ここを通る人なんて殆どいませんから。午後の外来受付の時間までまだしばらくあるし、エアポケット的な時間帯なのでしょうね。」 野分は花壇を囲む形で置かれた木製のベンチに腰をおろすと、俺にも座るように目で促す。 「忘れ物をしたのは、わざとじゃないですよ。ただ、事務局に無理を言えば明日まで待ってもらえるものをヒロさんに会いたくて持って来てもらったのは確かです。ごめんなさい。」 「いや、いい・・・。俺は、休みだったんだし・・・。」 だいたい今日で10日顔見てなかったんだ。どんな理由つけても・・・という野分の気持ちは理解出来るし、正直嬉しい。 新緑の輝きに満ちた中庭で、白衣姿の野分がいつもよりずっと格好良く見えて、俺は自分の靴のつま先あたりに視線を彷徨わせていた。
目→はなす でした。 |
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