『幸せの指針』




『幸せの指針』



片思いをしていた時代が長かったせいと、好きになる相手が男だったせいもあって、俺には一般に言われる恋人同士がどんな風なデートをし、どんな時間を共に過ごしているのかが分からない。

21歳の時に野分から好きだと言われ、付き合うようになった俺達だったけど、6年付き合った間にした事と言えば、お互いの時間が合う時に待ち合わせてファミレスでメシを食い、その後余程運良くどちらも暇であれば、どちらかの家に寄り忙しなく体を重ね、朝になれば急いでそれぞれ仕事や大学へ行く・・・というパターン。

それすら月に何度も無かったから、メシ食ったファミレスや互いの家から最寄りの駅までの道のりを一緒に並んで歩くことすら俺にとって貴重な野分との時間だった。


それなのに、もうひと月以上、野分から連絡が来ない。


ひと月都合がつかなくて会えないことはあっても、電話ひとつかかって来ないのはこれが初めてで、さすがの俺も不安になってきた。
やっぱり俺よりいい奴が出来たんじゃないのかな、野分ほどの男が同性の俺が好きだということ自体おかしかったんだ・・・いや、そんなことよりあいつ、ひとり暮らしなのに、具合悪くなって部屋で倒れていたらどうしよう・・・。

そんな心配で胸がいっぱいになってきて、昨夜勇気を振りしぼって野分の家に電話をしたら聞こえてきたのは『お客様の都合によりお繋ぎできません。』という無機質なアナウンス。
電話代・・・払ってないのか?

電話したことで更に不安が増して、大学からの帰り道わざわざ遠回りになる野分のアパートに寄った。部屋の窓にはカーテンがひいてあって、呼び鈴を押しても何の反応もない。
「いつでも好きな時に使って下さい。俺が留守でも上がってもらってていいですから。」と言ってもらったこの部屋の合鍵も、毎日持ち歩きながら本当に使うのはこれが初めてだった。


ギイと軋むドアを開けて部屋の中をおそるおそる覗きこむと、部屋の中は何だか黴臭かった。
もともと物の少ない部屋だったけど、さらに片付いていて、床には何も置かれていない。
いつも鴨居に吊るしてあった洋服も見当たらず、流しの水切り籠におさまるだけしか無い食器も籠ごと見えなくなっている。

呆然と部屋へ一歩踏み出した時点で、靴脱ぎにいつもきちんと揃えてあった野分の靴が一足も無いことに気がついた。
どう考えても、人が住んでいるようには見えない。
信じられない気持ちに胸を詰まらせながら、部屋の中を見渡すと、ぽつぽつと野分の私物が残っていると気付く。
部屋の隅の小さな整理箪笥はそのままだったし、開けると少ないもののいくつかの衣類が残っていた。
押し入れを開けると、たくさんの段ボールと受験の時に使っていた参考書やテキストがきちんとまとめて仕舞われている。

どういう事なのか分からなくて混乱する頭で色々と見回った部屋から分かったことは、ずいぶん部屋に帰った形跡が無いこと、電気、ガス、水道、電話は止められていること、生活必需品の多くは見当たらないところを見ると、荷造りをしてここを離れているのだということ・・・。


俺と別れる為に出て行ったんだろうか。
でも、そうだとしたらこんな手段を取らなくたって、はっきり言ってくれればいい。


そんな・・・・無理やり追いすがるような真似しねぇよ・・・。



結局、空っぽの部屋に何度か足を運んだ後、ふと思い立って野分が育った草間園に電話をして、そこで初めて俺はあいつがアメリカに留学していることを知った。
留学はともかく、それならそれでどうして俺には教えてくれなかったんだろう・・・。
親しい間柄だと思っていたのは俺だけなのか。
草間園の園長からその話を聞かされた時、俺は驚きと落胆と恥ずかしさで頭がいっぱいになった。
もしかして、知らされてなかったのは俺だけだったんだろうか・・・。

そこで初めて、野分と最後に会った時の事を思い出す。
いつもと同じようにファミレスでメシ食って、駅まで一緒に歩いて帰ってきて、あいつはホームで人目を盗んでキスしてきて・・・。
ほんの一瞬のことだったし、俺が拒絶したからまわりの誰も気づかない程度の出来事だったけど・・・その時、野分に変わった様子は見られなかった。


どうして・・・・。

最後に会った時、見せた慈しむような優しい眼差し、そっと唇に落とされた口づけ、駅までの道で俺の手を握ったあいつの手のひらのあたたかさ・・・思い出す何もかもが俺の胸に刺さって抜けない棘のようだった。


一年間・・・今、思いだしても気が遠くなるような長い時間、俺は「どうして」という気持ちに心を支配され続けた。胸の棘が痛いから、忘れることも叶わず、家の鍵と一緒にぶら下がった合鍵に目をやる度に気持ちが塞ぐ。

それでも・・・嫌われてなければいい。いつか帰って来てくれるかもしれない。そんなさもしい気持ちで引っ越しも出来ず、毎日郵便受けを開けてはため息をつく日々・・・。


辛かった。寂しかった。不安だった。
もう、あんな思いをするのはたくさんだ・・・・本気でそう思う。









思い出していたらまた腹立たしくなってきて、俺は隣で眠る愛しい男の鼻を指先でぎゅっとつまむ。
すると「ふぐっ」と変な声を出して野分の体が仰向けから横向けになり、こちら側へと倒れかかってきた。
太くて長い、大きな腕が俺の上半身を斜めにのしかかってきて、重たいそれをどける間もなく、俺の体はその腕に絡め取られ、胸に抱きこまれてしまった。
寝ぼけているから容赦なくて、かなり息苦しい。

「野分・・・苦しい。」

必死に腕の中で体を捩って顔だけをあげた後、寝顔に向って文句を言ってみるけれど、返事もない上に腕の力もそのままで、顔だけが何やら幸せそうにだらしなく緩んだ。


野分はあまりあのアメリカでの一年について語りたがらない。
本来、自分に関する話を自主的にはしない奴だから、それだけのことなのかもしれないけれど、あの一年で俺を深く傷つけた事は分かっているようで、話題がそっちに行きそうになると、途端に黙りこんでしまう。

もうあの頃野分が借りていたアパートも、俺が未練がましく住み続けていたマンションも解約してしまって、その後俺が勝手に決めて借りたマンションも・・・初めて二人で暮したその部屋すら出て、今は野分名義で借りたマンションに二人で生活している。

一緒に過ごせる時間はあいかわらず少ないままだけど、こうやって幸福な重みを感じながら惰眠をむさぼれる今の関係は悪くない。


体に残る、甘い気だるさについ数時間前の行為を思い出してしまい、一人で顔が熱くなってくる。
季節柄、裸で朝まで寝ていても風邪をひかずに済む気温になってきたけれど、このまま素っ裸で、同じく素っ裸のこいつと絡まって朝まで寝ていたら、どうなるかは安易に想像がつく・・・。
せめて俺だけでもシャワーを浴びて、パジャマに着替えて来たかったけれど、目前にある無邪気な寝顔を覗き込む度に、ここを抜けだす気が起こらなくて困る。


普通の恋人同士もこんな風に思いながら横で眠るんだろうか。

俺は野分としか付き合った経験がないから、
いまだに何が普通で、何が変わっているのかが分からない。

でも、そんな事本当はもうどうでもいいんだ。




この腕が俺を求めてくれる。
この黒い瞳が俺だけを映してくれる。
この唇が俺を好きだと伝えてくれる。


それで十分、幸せだと思わないか。


 ◇ 終わり ◇


ストロボ』 ヘキ様へ開設一周年のお祝いに捧げたものです。 2009月5月



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