『宝物』
夕食の後、キッチンで洗い物をしてくれているヒロさんの背中を見つめながらぼんやりとしていた、俺。
家庭というものがどういうものだか俺には分からないけれど、何気ない日常・・・例えばこうやって大好きな人が自分の使った皿を洗ってくれている風景ーとか、多分、俺だけに見る事を許してくれているリラックスした彼の背中を見つめている事ーとかそんな些細な・・・いやささやかであればあるほど幸せで、俺にとって何物にも代えがたい宝物だと思う。
ヒロさんと暮らす。
お互い忙しくて会える時間が少ないから、僅かな時間であっても一緒に過ごせたら・・・と始めた同居。
ヒロさん自身はどう思っているのか分からないけれど、俺にとって共に寝起きし、同じ家の中で毎朝目覚める暮らしは、想像していた以上に嬉しくて、心地よくて、生まれて初めて自分の「居場所」を貰った気がした。
自分の「居場所」にヒロさんが『ただいま』と言って帰ってきてくれる事。
ヒロさんの待つ家に『ただいま』と帰って来れる嬉しさ。
ここはまぎれもない・・・俺が初めて手にした「家庭」なのだと思う。
「野分。」
洗剤をつけたままのスポンジを手にしたヒロさんが振り返って俺を呼んだ。
「コーヒー飲むか。」
「ハイ。あ、俺淹れます。洗い物してもらってるし。」
「悪いな。」
コーヒーを淹れようと立ち上がった俺は、いきなりその場に崩れ落ちてしまった。
「な・・・野分!どうした!」
床に尻もちをついた俺の傍にヒロさんが飛んで来る。
「・・・いえ、その・・・急に立ったら、足がしびれちゃって・・・。」
さっきまで青ざめていたヒロさんの顔に、面白いくらいにすーっと赤みがさした。心配顔から一転、ヒロさんの瞳に何やら楽しくて堪らないといった光が宿った。
「・・・ヒロさん、何か悪いこと考えているでしょう。」
「いや別に。」
「嘘です。ものすごーく嬉しそうな顔してます。」
キッチンにとりあえずスポンジを戻しに行ってから、にこにこしながらヒロさんがこっちに近づいてくる。
ああどうしてこの人はこういう時だけこんなに喜々としているんだ。
「のーわーきー。」
「いやっ!ちょっと!触っちゃダメですって!」
しびれの切れた足に触ろうと嬉しそうにちょっかいを出してくる悪戯小僧の魔の手から何とか逃れようと、俺は床の上を転がりまわる。
「もう!そんな事するんだったら、後でいっぱい仕返ししますよ!」
「うるせぇ!むしろこっちがいつもの仕返しだ!逃げんな、コラ。」
床の上でじたばたと二人じゃれ合いながら、幸せをかみしめる・・・そんな俺だ。
◇おわり◇
作品解説
じゃれじゃれしている2人を書きたかったのです。
ヒロさんは野分の大切な家族。