『猫の首輪』


『猫の首輪 4 』



ヒロさんからのメールはたいてい夜さほど遅くない時間に届く事が多い。
朝や、授業と授業の間やバイトの繋ぎ、バイト帰り・・・と合間を見つけてはメールを打って送る俺とは違って、ヒロさんはきちんと落ち着ける時間と場所が無いとメールが打てないタイプなのかもしれない。
今日もバイトが終わって帰る道すがらポケットの中で振動する携帯に気がついた。
慌ててポケットを探り、携帯を開く。

外灯の下、画面に表示される「ヒロさん」の名前。

『今週末は月曜日提出のレポートがあるから家を出られそうにない。悪い。これが終わったらまた俺から連絡する』

特に週末約束していた訳ではないのに、律儀に謝るヒロさん。
確かにがっかりしなくはないけれど、気にかけてくれているだけでも嬉しかった。

ヒロさんはすごく真面目な人だからレポートなどの課題が出た時も、後回しになどしないですぐにとりかかる。なのにこだわるあまり何度も書き直し、推敲し、挙げ句レポート提出期限前は徹夜しなくては間に合わない程ぎりぎりになってしまうのだ。
きっと今回もそのパターンなのだろう。だったら邪魔をする訳にはいかない。

通る人の邪魔にならないように道の端に寄り、閉店した店のシャッターにもたれてメールの返事を書いた。

『レポート頑張って下さい。俺もヒロさんが頑張っている週末しっかりバイト頑張る事にします。もし作業の合間に一息つく時間があったら、少しだけでも声が聞きたいです。良かったら電話して下さいね。』

送信画面が終了するのを確認して携帯を閉じ、握りこんだ手ごとポケットに突っ込む。
たった今ヒロさんのもとにメールを届けたばかりの携帯。まだほんの少し彼と繋がっている気がしてぎゅっと握る手に力を込めた。

アパートについて鍵を開けている最中、また携帯が震える。
靴を脱ぐ間も惜しくてその場で携帯を開きメールを確認した。

『バイトの最中だったらと考えるとこちらからは電話し辛い。夜なら家でレポート書いているからそっちが都合のいい時にかけてきてくれると助かる。かかってきた時に一息つく事にするから。』

まるで『電話が欲しい』と言われているかのような内容のメールに胸が高鳴り、部屋にあがるなり発信ボタンを押す。

『はい』

「ヒロさん、すみません、早速かけちゃいましたけど邪魔じゃなかったですか?」

『・・・・平気。お前・・・今、家か?」

「はい。バイトが終わってさっき帰ったところです。」

『そうか、遅くまで大変だったんだな。その・・・メシはもう食ったのかよ。』

「バイトの休憩時間に弁当買って食べました。俺よりヒロさんこそちゃんと食べていますか?根を詰めると全然食べずに頑張っちゃうから、心配です。またご飯作りに行かせてくれませんか。レポートの邪魔しませんから。」

あ・・・ちょっと強引過ぎたかな。
行けば絶対邪魔になるに違いないのに・・・。

電話をしている最中に変な間が開くと少し不安になる。
顔を見て話している時には、その表情の変化を見てとる事が出来るから、今のような質問をしても、眉間に皺を寄せて睨み付けているか、赤く頬を染めてそっぽをむいているかで判断出来るのに。

しばらく沈黙が流れた後、ぽそっとヒロさんの小さな声が聞こえた。

『コンビニ弁当もレトルトも正直飽きた。どうしてもヒマで仕方ないんだったら・・・作りに来れば?』

「はい!じゃあそうします。俺、ヒロさんの食べたいものいっぱい作りますから。楽しみにしていて下さいね!」

『・・・・おう。』

俺は単純だから、たったこれだけの事で天まで昇れるような気持ちで胸がいっぱいになる。

ヒロさん、ヒロさん、俺のこと・・・もっと好きになって下さい。
本よりも俺を・・・なんて贅沢は言いませんから。もう少しだけでいいからあなたの中で俺の存在が大きくなれるといい。ヒロさんがふと目を休めようと本に栞を挟んだ時に、その瞼の裏に1番に浮かぶのは俺の顔であって欲しい。



 ◇ 続く ◇




『猫の首輪 5 』


◇ 弘樹side ◇


もともとは野分を縛るはずの物だったのに、正直捕らわれているのは自分の方だと思った。

野分に携帯を持たせて以来、一人で家に居る時も外出時も携帯が気になって仕方がなくなってしまった。
これまでも持ってはいたものの、どちらかというと無頓着で、しょっちゅう家に置き忘れたまま外出していたし、放っとらかしでいつの間にか充電切れ・・・なんて事も多々あった。
それが今では野分からメールや電話があるかもしれないと思うあまり、どこに行くにも持ち歩き、ヒマさえあれば着信を確かめてしまう。

俺の写真を持ち歩きたいから、と野分に携帯のカメラで写真を撮られたけど、本音を言えば俺だって野分の写真が欲しかった。けれど撮られる時にあれだけ嫌がって抵抗した手前「俺も」とは言い出せなくて。
一緒に居ても照れくさくてろくに顔なんか見られないから、尚更・・・。

わざわざ「週末はレポートやってるから家を出ない」宣言までしてアパートににこもっているというのに、さっきからパソコンの画面はスクリーンセーバーのままちっとも作業は進んでいない。

こんな事なら、会えないなんて事言わなきゃ良かったんだ。

真っ暗なままの携帯電話の画面をぼんやりと眺めながら本の散らばった床に横たわる。
デジタル表示の時刻はもうすぐ夜10時になろうとしていて、この時間じゃ晩飯を作りに来るかも・・・なんていう淡い希望も潰える。

「メシ・・・作りに来るって言ってたんじゃ、ねーのかよ・・・バカ。」

どうせ今日も終電ギリギリまでバイトやって、へとへとになって帰ってから夜遅くまで学校の課題をやるんだろう。そして明け方まだ暗いうちから新聞配達の為に出かけていく・・・。
そんなハードな生活を黙々とこなして頑張っている野分に、自分の都合や気分で「やっぱり会いたくなった」だなんて言える訳がない。

こうしていてもレポートは進まないし、ろくな考えにもならないのなら、いっそ寝てしまおうかと思いながら携帯をテーブルの上に置こうとした瞬間、着信のメロディが室内に鳴り響いた。
びっくりして飛び起き、慌てて通話ボタンを押すと、そこから流れて来たのは待ち侘びていた人の声。

『ヒロさん・・・?すみません、今忙しかったですか。』

「・・・いや、別に・・・。」

まさか、お前の電話を待っていましたなどと言える訳がない。

『俺、今バイト終わったところなんですが・・・その、明日新聞休刊日で・・・明日は授業も昼からしか無いし・・・あ、でもヒロさんはレポートやってて、忙しいなら・・いい・・・』

「野分。ちょっと頭の中でまとめてからしゃべれよ。」

『はい。えーと・・・その、つまりですね。』

「今日のバイト、もう終わったんだろ。で、何だ?明日は新聞配達も行かなくてよくて、あと授業が何だって?」

『明日、大丈夫なので、ヒロさんさえ良ければ・・・今からそっちに行きたいです。』

心臓の音がドクンと大きく波打つ。

『でも・・・レポートやってるんですよね?忙しいなら・・・・。』

「いい!・・・べ・・別に期限まで、まだあるし。平気だから、その・・・。」

『おじゃましてもいいですか?』

「・・・・ん。好きに・・・すれば。」

『ありがとうございます!!実はもう近くまで来てるんです。ヒロさん家から1番近いコンビニが今見えて来ました。』

コンビニ?すぐそこじゃねーか。
こいつ、俺がダメだ、来んなって言ったらどうするつもりだったんだろう・・・。
野分の無計画さに半分呆れながら、半分は嬉しくて堪らなくて、喜んでいる事を悟らせたくなくて、わざと興味なさそうな口調で答える。

「あー、お前コンビニの前通るんだったら、アイス買って来い。後で金渡すから自分のもちゃんと買えよ。」

『わかりました。アイス買って、5分くらいでそっちに着きます。待ってて下さいね。』

通話の終わった携帯電話に耳を押しつけたまま、俺はそっと目を閉じた。


 ◇ 続く ◇



『猫の首輪 5.5 』


「あれ?草間って携帯持ってなかったんじゃなかったっけ?どうした、どんな心境の変化だ。」

校内の食堂で昼食を食べた後、携帯を弄っていた俺を見て同じ学部の友人が声をかけてくる。

「恋人から貰ったんです。」

自慢するつもりで顔の横に掲げて見せると、友人は一瞬顔を歪ませて「ゲッ」と小さく呟いた。まさかそんな反応が返ってくるとは思っていなかった俺は驚いて友人の顔を見返す。

「草間の彼女って・・・結構・・・何て言うか・・・まぁいいや。」

「何が言いたいんですか。」

「いや〜・・・まぁ、草間自身がそれでいいなら別に問題はないんだけどさ、要するに携帯持たされたんだろ?自分で買うならともかく、買って持たされるっていうのは、ちょっと男としては面白くないというか縛られてる感じがね・・・重いかなぁと。」

「面白くない?重い?何で・・・・?」

「だってそうだろ。メールでいちいち何やってるかどこに居るのか確認されて、こっちの都合考えずに電話してきて、逢いたい・・・とか言われてみろよ。面倒で・・・。」

大袈裟に体を震わせて見せる友人を見ながら、さっき言われた事をもう一度頭で巡らせてみる。

『なぁ、今どこにいんの?』

『スマン、急に野分の声が聞きたくなっちゃって。迷惑だったか?』

『野分・・・逢いたい。今すぐ来て・・・。』

友人の言う「彼女」の行動にヒロさんを当てはめて想像してみるけれど、どう考えてみても、面倒でもなければ、重たいとも感じない。
・・・むしろ、すごい嬉しいかも・・・・・!!

「どうした、草間・・・ぼーっとして。」

「いや別に。俺は幸せものだなーっと思ってました。」

「・・・変なやつ。」

すっかり顔が緩んでしまった俺の様子を見て、気味が悪そうに歩き去った友人の背中を見送って、俺は携帯をいじるとデータフォルダの中から、この間こっそり隠し撮りしたヒロさんの寝顔の写真ファイルを開く。

手の中に収まるサイズの小さな窓の部屋で眠る俺の大事なひと。
薄く口を開いた無防備な寝顔はどこかあどけなくて、本当に可愛い。

会えない時間、俺がどうしているか知りたいと思ってくれたんだとしたら嬉しい。
会う時間が少ないのならば、せめて声を聞きたい、そう思ってくれたんだとしたら嬉しい。

携帯の画面の中の彼に口づけたい気持ちをぐっと抑えて、俺はそっと携帯を折りたたんだ。


  ◇ 続く ◇



『猫の首輪 6 』



玄関のドアを開けた途端、力いっぱい抱き締められて一瞬頭の中が真っ白になった。

「・・・・野分?」

「ああ・・・やっぱり本物がいいです。メールも電話で話す声も嬉しくて堪らないけど、実際に触れる本物のヒロさんが1番です。」

感慨深げに呟く野分の声を聞いていると、つい抵抗するのも忘れて、俺は抱き締められるまま野分の胸に額をくっつけてその腕の心地よさに酔いしれる。

欲しかったのはこのぬくもり。

俺の名前を呼ぶ、この声。

あいたかった。

靴も脱がずに俺を抱く野分の手が背中を這いまわっていて、その感触を待ち侘びていた体は、狂おしい程の期待にどんどん熱くなっていく。

「ヒロさん・・・会いたかった・・・。」

声には出せなかった心の中でのつぶやきをなぞられて、驚いて思わず顔を上げる。
そこにあったのは、胸が切なくなる程優しい表情で俺を見下ろす野分の顔。

「・・・ヒロさん・・!」

目があった途端に噛みつくように口づけられて、俺は求められるままに舌の侵入を許し荒々しいキスを受け入れた。

ああ・・・食われそう・・・・

唇から、頭から、がぶりと食べられてしまいそうな勢いで唇を貪られて、獰猛なケモノに捕食される悦びに背中がぞくぞく震える。

「ヒロさん、ヒロさん・・・。」

Tシャツの裾から差し入れられた野分の手のひらが素肌に直接触れ、膝がかくんと折れそうになった。

「野分っ・・・ちょっ、待て。」

崩れ落ちそうになった俺の腰を抱き留めた野分の手がそのまま腰を自分の腰に引き寄せ、素肌をまさぐる手のひらが胸の突起を見つけ、指の先でやわやわと弄られる。

「やっ・・待って・・。」

「待てません。ヒロさん・・・・・欲しい。」

そんなの、俺だってずっと野分が欲しかった。
だけど、こんな玄関先で押し倒されるのは嫌だ。野分など来た途端床に持っていたカバンを放り出し、靴も履いたままで。

性急な愛撫に流されそうになる体を必死に宥めて、野分の胸を押し返す。

大した力を入れた訳でもないのに、一瞬傷ついたみたいな驚いた顔をして体を離そうとするから、違うんだと口にする代わりに慌てて離れそうになったその体にすがりつく。

「違う・・・野分、ベッド・・・・行こ。・・・ここじゃ・・・・。」

胸に顔を押しつけたまま小声でそうつぶやくと、ようやく俺の言わんが事を悟った野分が履いていた靴を脱いで、無言のまま俺を担ぎ上げた。
突然浮き上がった体に驚いて絶句している間に部屋へと連れて行かれ、ベッドの上に降ろされる。Tシャツを脱がされ、そのままベッドに仰向けに倒されて、野分の大きな体が覆い被さってきた。

どうにかしてくれと言わんばかりに、硬く猛った熱の在処をぐいぐいと押しつけられて、息が上がっていくのを隠せない。

「・・・ヒロさん!!」

俺の名前を繰り返し呼ぶ、野分の声にまったく余裕が無いのが滲み出ていて、俺の胸も熱くなる


こんなに激しく欲される事も、こんなに欲しいと思う事も、俺にとっては野分が初めての相手で。まだ気持ちの中は戸惑いで溢れている。
これほどに強く大きく膨れあがった思いを拒まれたらどうしよう。
俺ばっかりこんなに好きになって、触れられる手の熱さに夢中になって、突き放されたらきっともう立ち上がれないに違いない。

「野分・・・・・・。」

その名前を、声に出しただけで胸が潰れそうな程に、好きなんだ。


  ◇ 続く ◇



お題提供
『みんながヒロさんを愛してる』同盟様


電話デート でした。

2009月7月12日〜連載中


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