『新月』 |
大量のバインダーを膝に乗せたまま俯いている俺の横に腰をおろした野分が横からそっと両腕をまわして抱きついてくる。いつもの有無を言わせない強引さはなく、子供が甘えるような触れかたに思えて、撥ね退ける気がおこらない。 小さくなってもこいつ体温高いな。・・・いや子供なんだからむしろそれが当たり前なのか。
じっと抱きついて俺の首筋に顔を埋めたままの野分の表情は俺からは伺えない。抱きしめる腕の力は意外と強くて、それに気づいてしまった俺の胸が高鳴り始める。 「うっとおしいぞ、お前。何か言いたい事あんなら言えよ。」 「・・・悔しいんです。」 「何がだよ。ったく・・・相変わらず主語がねぇな。」 いつもなら何でも臆面なく言う野分が、もごもごと口ごもり、俺のシャツの背をぎゅっと掴んだまま、なかなかしゃべり出そうとしない。 野分の体に変化が起こり始めた当初からそうなる事はずっと頭にあった。このまま順を追い遡っていくのならば・・・・当然こうなる事は分かっている。 「先輩・・・冗談でもあんな事・・・。」 「ばーか。本気にすんな。あいつの性格はお前の方がよく分かってんだろ。」 「・・・まあ、ハイ。」 「どんな事があったって、俺は・・・。」 「ヒロさん・・・?」 「・・・俺は・・・・・お前にしか・・・・。」 触らせないってもう随分前に決めてんだ。 「・・・だったら尚更悔しいです。こんな体になってしまって・・・!」 「・・・・・。」 初めて聞いた、野分の泣きごと。 野分の悲しみが腕を伝って俺の胸へと届く。 何にもしてやれなくてごめんな。 それにしても、バカなやつ!! いつまでも動こうとしない野分の背中をぎゅっと抱き返す。 「ヒロさん・・・・っ・・・・。」 お前は悔しいって言ってくれたけど、俺はこうやってお前が傍に居てくれて、その声で俺の名前を呼んでくれて、抱きしめてくれるだけで・・・十分に嬉しいんだ。 これまでの変化から計算しようとする頭を気持ちが阻止する。 今はまだ考えたくない。 「心配すんな。別にスケベな事やれないくらいで、今更嫌いになったりしねーよ。」 ようやく顔を起してこちらを向いた野分の顔をまっすぐに見つめる。 「大丈夫だ。」 今度は多分、俺の番なんだ。 どうにもならない深い悲しみの底でたった一人足掻いていた俺を、明るい光のもとへ引っ張り上げてくれた・・・野分、お前の為になら、俺はいくらでも頑張れる。
「ヒロさん、もし嫌だったら言って下さい。」 「・・・何。」 「キス、したいです。」 小学生とキス・・・。 「嫌、ですか?」 「別に嫌じゃ・・・。」 みるみるうちに顔が熱くなってきた俺のおとがいを指先ですくい上げると野分はゆっくりと口唇を重ねてきた。 口唇がやわらかい。 ・・・っつーか、あれか。こいつは俺と出会うまで、恋なんかした事なかったような話してなかったか?・・・それに、結局こいつは俺以外の誰のものにもならずに俺と会うんだから、何歳で奪われてようと関係ないか。 「ん・・・ふっ・・ぅ・・。」 久し振りのキスの心地よさに身をまかせ、ぼんやりしていた俺は、野分に両頬を両手で包みこまれ、その舌先が口腔へと侵入するのを許してしまった。 時間が止まったみたいに、俺達は長い長い時間、そうやってお互いの口唇を貪り続けた。 当たり前のように体を重ね合っていた頃には、前哨戦というか、着火剤のような存在だったキスが、今は俺達が交わしあえるただ一つの方法に違いなくて。焼けつく思いを体の奥深く閉じ込めながら、ひたすらに愛おしい者の舌の甘さを味わいつくす。 口の端から溢れだした唾液が喉をつたう。 キスだけでこんなに満たされた気分になれるなんて知らなかった。 そういえば何かの本で、野生動物もキスをするという話を読んだ事がある。 惹かれあう個体と個体が本能で求めあう行為。 繁殖に直接結びつく訳ではないけれど、愛おしくて、大切で、そうせずにはいられない、そんな・・・まるで俺達がやっていた性行為みたいだな。 男同士でセックスなんて、無意味だと笑われるかもしれない。ただ性欲の捌け口なんじゃないのか・・・とも。 大切に、宝物みたいに抱いてくれていた野分の手の、熱く狂おしい体温の記憶が今の俺をまっすぐ立たせてくれている気がする。 俺は野分に何を与えてこれたのだろう。 何にも執着した事が無かったのだと言ったコイツが唯一手に入れたいと願ったもの。 「・・・ヒロさ・・・ん・・・。」 永遠に続くのかと思った口づけが解かれ、再びその腕の中に優しく抱き締められた。
「好きです、ヒロさん。この先どんな事があっても・・・・俺がヒロさんを好きな気持ち、忘れないでいてやって下さい。」 「・・・・ん・・・。」 まるで居なくなっちまうみたいな変な言い方するな、とか、もう何年も毎日毎日そればっかり言ってるくせして、忘れる訳ねーだろ、とか、そんな言い方してプロポーズかよ、とか色々頭の中に浮かんでは消えて、結局小声で相槌うって俯く事しか出来ない。 野分の唾液でべたべたする口や顎を指先で拭いながら、こういう時に反射的にでも「俺もそうだよ」だの「俺も好きだ」だのと言えない自分が情けなく思う。 「あー俺、仕事すっから・・・お前、適当に遊んでろよ。」 「それじゃあ洗濯でもやります。最近は夜洗って部屋で干してばかりだったんで、外に干せるの嬉しいです。」 「あ・・・・そ。」 勉強と仕事とバイトばかりだった生活からまるっきり暇になった時に野分は何をするんだろう・・・と少し興味があったんだけど、そうか家事やんのか。 少し名残惜しい気持ちを制しながら、野分の腕を解いて体をゆっくりと離す。 知り合ってからずっとすれ違い生活ばかりやって来て、たまに一緒にいられる時にはそうしなければ損とばかりにガツガツと求めあってきたものだから、こうやって一緒の空間に居ながらもそういう事を意識せずそれぞれに好きな事やってるのもいいもんだなと気付かされる。そういった事なども全て、野分が仕事を失ったからだと思うと気持ちが塞ぐが・・・。 洗濯機の回る振動音を聞きながら、資料の書籍をめくる。
大学に行っている間、野分は家で留守番をしている。 「上條~。いいなぁ、今日も彼氏の愛情弁当?」 「・・・教授もそろそろ来るんじゃないんですか。豪華三段重ねキャベツ弁当が。」 「・・・ぅう・・・そ・・・そうなんだけどさ・・・・。いいなぁ、上條の彼氏は料理が上手くて。」 教授の物欲しそうな顔で弁当を覗き込まれて、思わずそっと弁当箱を手前へ引き寄せる。 「今日のおかずは何かな~。・・・ニラ入り卵焼き、アスパラの肉巻き、豚肉の梅肉和え、煎り豆腐・・・大根と人参のきんぴら・・・いいなぁ旨そうだなぁ。」 「そんなに見てたってあげませんよ。変なところ見られてこれ以上あの子に睨まれるの、俺嫌ですから。」 宮城教授のところに足繁く通ってくる例の高校生は、ここのところ弁当作りに凝っているらしい。ほぼ毎日大きな重箱を突き付けて怖い顔で帰って行く背中を見る度、彼の不器用な愛情表現の姿や、決して上手いとは言えない弁当の中身を見るにつけ、どこか他人事じゃない気持ちを感じるようになってしまった。 「毎日弁当持参とは・・・彼氏の勤務、最近落ち着いてきているみたいだな。」 「・・・・あいつ、ちょっと事情あって・・・今、家に居るんです。」 「へ?事情って・・・お前に頼ってヒモになるようなタイプには見えなかったし・・・どこか体でも悪くしたのか?」 「まあ・・・・そんなもんです。」
「え…本当に病気?…彼氏、医者じゃなかったっけか?」 「ええ、医者の不養生とはよく言ったもんです。」 「そっかぁ…そりゃあ上條、心配だなぁ。…あ、もしかして、最近全然残業も休日出勤もしなくなって、慌てて仕事持ち帰ってんのはそのせいか!」 「……すみません。」 教授にも感づかれるくらい俺の態度はあからさまだったって訳だ。 「なので…しばらくは出来るだけ早く帰ってやりたいんです。教授のお手伝いとか、飲むお誘いとか断ってばかりですみません。」 「いや、そんな事気にするな。だいたいいつも作業がギリギリにずれ込んで迷惑かけてんのはこっちなんだし、こんな時くらい彼氏孝行してやれ。」 「はい・・・。」 彼氏孝行かぁ。 野分が作ってくれた弁当をつつきながら、頭の中にあいつの顔が浮かんでは消える。 口に頬張った卵焼きは、今日も俺好みの甘めな味付けで、むしょうに家に帰りたくなって困った。
「ヒロさん、 俺・・・一緒に寝たいんですが、ダメですか?」 「いいけど・・・・別に。入れよ。」 野分は嬉しそうにニコッと笑うと、俺の隣にその体をすべりこませる。 そっと躊躇うように伸ばされる野分の腕が、俺の体を抱きよせてきて、腕枕をするような体勢で首の後ろに腕をまわされた。 至近距離でまっすぐに見つめられて困った俺が視線を彷徨わせていると、唇をぺろりと舐められる。 「・・・・!」 「昼間もずっとヒロさんに会いたくて会いたくて、どうにかなっちゃいそうでした。・・・キスしてもいいですか?」 「・・・・ん。」 ふんわりと柔らかくて気持ちいい野分の唇が、そっと重ねられる。 いつかのように、情欲を煽られるようなキスはあれきりして来なくなってしまって、俺としては少し寂しく感じていたけれど、こうして抱きしめられるだけでも、唇を軽く重ねるだけでも、震える程に嬉しい。 幼い体に馴染んできた野分に、多分もう性欲はあまり無いはずで・・・こうやって体を寄せてきてくれるのも、そうされたいと願う俺を慰める為なのか、性欲とはまた違う次元の愛情がさせる・・・例えるなら、子供が親に抱っこをせがむ様な・・・野分が求めているのはそんな手なんだろうか。 俺の体を優しく抱きしめていた野分の呼吸が、ゆっくり、静かな寝息に変わる。 野分がこの姿になって、そろそろ一週間が経つ。 どんな姿であったって構わない。野分がそこに在ってくれれば、ただそれだけで。 |
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