『月夜』


この7年の間に数えるほどではあるけれど、ヒロさんの口から「好きだ」と言ってもらった事はある。だから、普段どれだけ照れて逃げ回ったり怒ったりしていても、ヒロさんの気持ちは分かっているつもりでいたけれど・・・あまりにも俺の思いが強過ぎて、心のどこかでヒロさんは流されている部分もあるんじゃないかと思っていた。
まさか、俺の事を誰かに話す事があるなんて・・・。


宇佐見さんの家を出て、ヒロさんを背中に背負って歩きだした俺は、背中に彼のぬくもりを感じながら、やけに明るい夜空を見上げた。
深い夜の帳に冴え冴えと映える、くっきりとした月あかり。
最近、仕事やバイトから帰ってくる帰り道は大抵ヘトヘトに疲れきって、俯いて歩いているか、ちょっとでも早くヒロさんの顔が見たくて、空なんか見上げずに小走りだったりするから、こんな風に月がきれいだなぁなんて思うのは久しぶりだった。


最後にこんな風に月を見上げたのはいつだっただろう・・・考えて、思いだしたのは、留学から帰って来て、一緒に暮らし始めたすぐの頃。
それまで何年も別々の住処に帰る為、お互いに離れがたい気持ちを堪えながら、駅までの道を遠回りしながら時間かせぎをしていた俺達が、引っ越しの段ボールを片付ける途中で、ファミレスに行き一緒に夕食を食べた後、ゆっくりと歩いてまた同じ家に帰れるのが何だか嬉しくて仕方なかったあの夜。
ヒロさんの手を握って2人で見上げた夜空にも同じような、白くてでっかい月が浮かんでいて、それに気がついたヒロさんが小さな声で「・・・すごいな。一度見たら忘れられなくなりそうな月だ。」とつぶやいたのだ。


その言葉がまるで何かの呪文のように、俺にとってもその日2人で見た月の明るさは瞼の裏側に焼き付いていて、今でもそう目を閉じるだけで鮮やかに思い出せる。

「ヒロさん、寒くないですか?」

「んー・・・へいきー。野分の背中ーぬくい。」

素面の状態だったら聞いただけで卒倒しそうなくらい、素直で可愛らしい返事が背中から返ってくる。ヒロさんの口調は歌うように軽やかで、呂律が回らないのだろう、若干舌足らずで幼く聞こえた。

「のーわーきー。」

「はい。」

「すきだー。」

背中越し、俺の首筋に火照った顔を埋めながら、ヒロさんがつぶやく。
俺の後頭部におでこをぐりぐりと擦りつけながら「へへへ。」と照れ隠しのように笑った。

分かっています。酔ってるんですよね。
今、こんな風に言っていたとしても、明日酔いが醒めたヒロさんは何一つ覚えてはいない。だから話半分で聞き流さなくてはならないと、これまでの経験上分かってはいるものの、嬉しくて胸が高鳴る。

「ヒロさん、もう1回言って下さいよ。」

「んー何ー。」

「好きだって、もう1回聞かせて下さい。」

「へへへへ・・・。のわき、すき。」

「ヒロさん、もう1回。」

「すき。・・・すき。すっげーすき。おまえさぁ、しらねーだろ、どんだけおれがおまえのこと、すきか、とか。」

「そうですね。普段もこんな風にいっぱい言ってくれると、俺、嬉しいんですけど。」


背中から降り注ぐ、すき、すき、すきの雨。
心地よくて、嬉しくて、ずっとずっと浴びていたい。

「ヒロさん、今日宇佐見さんにどんな話してたんですか?・・・俺にも聞かせて下さい。」

「へー? んーイロイロ。ふふっ・・・おまえがさーはらぐろいこととかさー。」

「何ですか、それ。」

「おまえさぁ、おれになにか、よーきゅーするとき、にさ。ぜったいおれがーことわれないよーに、でぐちふさいでからーよーきゅーすんだろ。」

「?」

「おれが、けっきょくおまえによえぇのわかっててさーずるいよなーチクショー。」

背中で、畜生と言いつつ首に回されたヒロさんの腕に、ぎゅっと力が入る。
俺がおんぶしているのに、何だか抱きしめられているような気持ちになって、胸がきゅっと痛んだ。苦しいけど、決して嫌な痛みではない。
ヒロさんが好きだ。誰より、自分より、世界中のどんなものより。
彼の名前を心でつぶやく度に訪れる胸の痛みは、俺が彼に恋している証しだ。

夜風にさらされて冷え切った俺の耳にヒロさんの暖かくて柔らかい頬が押し付けられた。
小声で「つめたっ。」と笑う彼の頬に、俺も自分の頬を擦りつける。

「ヒロさん、早く帰りましょう。・・・俺、酔っぱらってる時のヒロさん抱くの、今までずっと罪悪感あって嫌だったんですけれど・・・ほら、記憶とんでるのが分かってるのにするのってフェアじゃない気がするじゃないですか。でも、今夜はめちゃくちゃいっぱいしたい気分です。」

「へー。」

「へーじゃないですよ、人ごとみたいに。・・・ちょっと! 背中で寝ないで下さい!」

「ねてねーよ。」

暦の上では春なのに、風が吹き抜けるとその冷たさに一瞬身がすくむ。
だけど今夜はその肌寒さを逆に嬉しく感じた。冷たい風が吹く度にヒロさんが俺にしがみついてきてくれたし、寒さを感じれば感じるほどに、二人触れ合った背中と胸が熱くて・・・抱きつく腕が暖かくて、くっつけ合った頬が心地良くて、ヒロさんのぬくもりに包まれている事がただひたすら・・・嬉しい。


玄関に入るなり俺達は貪る様に口唇を重ね合った。
ヒロさんから匂いたつ甘いアルコールの薫り。
靴を脱ぐのすらもどかしくて、二人とも土足のまま玄関のあがりで抱き合ったまま床にへたり込む。
いつもなら最初は遠慮がちに絡めてくる舌先が今日は「もっともっと。」と言ってるみたいに、俺の口の中で暴れまわっている。可愛いくて、気持ち良いそれを掴まえて強く吸い上げると、自然とヒロさんの顎がゆっくりと上向き、口づけがさらに深くなっていく。
すがりつくみたいに俺の胸元を掴んで口唇に噛みついてくるヒロさんの顔を両手で包みこんで、離れがたい唇を引き離した。

「ヒロさん・・・・っ。と、とりあえず、リビングかベッドまで行きましょう。体冷やしてんのに、こんなところでヒロさんを脱がす訳には・・・・。」

「・・・じゃー、はやくつれてけー。でないとぉ、おれがーぬがす。」

ものすごい真顔で俺のベルトを外そうとしてくるヒロさんの手を押さえ込んで、とりあえず靴を脱がして放り出すと、その体を肩に担ぎあげて玄関から近い自分の部屋へと連れて行った。




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